こんにちは、森です。
7月19日(木)岡山県真備町のボランティアに行ってきました。
今後自分もやろうかなという人に読んでいただけるとうれしいです。
※1週間経って状況も変わってるかもしれませんがまだまだ人は足りてないようでした。現状況と照らし合わせて読み進めてください。
私のこと
・被災地での作業は初めて
・普段は屋内での仕事が中心で中肉中背の体力は30代♂の平均くらい
・奈良から岡山県までの交通手段はクルマのみ
・岡山県は初めてで真備町も今回のニュースで初めて知った程度の土地勘
動機
・本来なら予定のあった日だったが急になくなりやることがなくなった
・「復興をお祈りします」なんていう度に自分と被災地との境界線が分厚くなってる気がしてきたので寄付以外で復興の参加者になりたくなった
・被災地での活動を経験をしたかった、自分の目で確かめたかった
こんな感じ。あとは直感。
当日までに準備したこと
・ボランティア募集をしているところをインターネットで探して連絡
・行政が募集の場合は当日集合ですが今回参加した「幡ヶ谷再生大学(はたがやさいせいだいがく)」というNPO団体の場合は前日にメールで対応してもらえました(早いにこしたことはない)
・コーナンで長靴、手袋、汚れてもいい上下服、粉塵用マスクを購入
・自前の備品としてホウキ、ちりとり、工具一式、高圧洗浄機を用意
・ボランティア保険の申し込みを急遽探すが窓口を間違えて加入は断念
⇨ネット加入不可、コンビニ手続き不可、市役所不可と意外に面倒なハードル
復興支援団体について
・当初は岐阜県関市が距離的に近かったのもあって行政の募集を探してたのが打切りになってるのを知ってこれも断念
・行政の募集についてはリアルタイムで情報が変化していくのでしっかりと探さないと正確な情報に辿りつかない
・twitterで探して見ると今回参加した「NPO団体幡ヶ谷再生大学」を発見しあまりそれについての知識はなかったがミュージシャンの「BRAHMAN」や音楽との縁を信じてフィーリングで即決
・今回たまたま自分に合った団体が見つかったけど、よく分からない人は各自治体に問い合わせるのが確実
団体については↓
7月19日雑記
朝4時半起床。
準備してた物をリュックに詰めこみ急いで5時ちょうどに出発。
この時間に大阪方面に行くことはほとんどないのでGoogleMapを頼りに1時間ほどで姫路に入る。快調。
姫路に入ってから自衛隊の車が次第に増えてくる。ジープの後部座席にはぎっしり人が座っている。途中トイレに寄ると自衛隊の人が猛ダッシュで入ってきて出て行った。緊急事態というのがわかる。自分がこのまま行ってもいいような地域なんだろうかという不安も出てきたがここまできたらそんなこと言ってられない。
懸念していた渋滞もなく朝7半ごろに総社市(そうじゃし)に到着。インターを降りると特にどこにでもあるような風景が目に入る。コンビニも朝マックも営業している。
途中の河川敷横にモンテールの工場が見える。モンテールはコンビニやスーパーで売られてるシュークリームとか作っている会社。ここも被害は見当たらずとてもおしゃれな外観を残していた。
ここから大きめの橋を渡るころに道路は少しずつ混みはじめ様子も変わってくる。通り過ぎる沿道には家財道具が積み上がってる。後になって先ほどの川が氾濫したというのが理解できた。高梁川(タカハシガワ)だ。
8時、集合場所のスーパーに到着。奈良からちょうど3時間。
手前の信号機は点灯していなかった。電気の復旧はまだ完全ではなく街灯もまだないようだった。向かいのコメリは営業しておらずその横には見たことないほど自衛隊の車が停まっていた。
お腹が減ったのでここでOPENしたてのスーパーに入り弁当とお茶を買う。
ここは雨で天井部分まで浸水したにも関わらずその後奇跡的な速さで営業再開したので有名なディスカウントスーパーディオ。中は少し殺風景ながら必要な物が積み上げられ劇的に安く売られていた。唐揚げ弁当が184円。お店の屋根には「がんばろう、まび」と書かれたバルーンが浮かんでいる。必要としてる人に必要な物を必要な時に提供する商売人の意地を見たような気がして感動した。
朝9時。この日のリーダーゆかりさんを中心に12名ほど集まる。
ゆかりさんはいい感じにテキトーで柔らかい感じがして話しやすい。初めて行く人も入りやすいと思う。軽く自己紹介や話を聞いてそこから現地へ移動。
県内の人がやはり多かったが東京や千葉、和歌山などから来てる人もいた。
近くにいる人に「今日はどうして来たんですか?」と聞くと「東日本大震災の時に何もできなかったから。」と申し訳なさそうに言ってたのが印象に残った。
長靴に履き替え作業開始。
被災したお家から家財を運び出してトラックに積む。
それを延々と繰り返す。大体の人ができそうな単純な作業。
この日も猛暑日のためこまめな休憩をとる。暑いというだけではっきりいって普段運動しない人にとっては過酷な環境だ。運び出す物全てが泥水に被って重量も増している。それでも周囲の人からの声かけやフォローもあり疎外感はなく1人でいった新参者にも関わらず皆好意的に接してくれる。力のない人は細かい物をゴミ袋に詰めるなどできることをしてる。私も無理しないように自分のペースを保つ。
11時、近くのゴミ集積所になってる大きめの公民館みたいなところへ軽トラの後部に揺られながら連れていってもらう。集積所はその地域の人たちが持ってきたであろう家財で山積みとなっている。同じようにゴミを捨てに来てた大学生くらいの男の子が木の破片をゴミ山に向けて勢いよく投げていたのをよく覚えている。
13時過ぎに昼食。みんなで同じ物を食べるのがここのルールらしく近所の人の敷地に移動しカレー弁当、コーヒー、スイカをいただく。めちゃくちゃ美味かった。近所に合ったら絶対行くやつ。
14時過ぎに活動再開。現場には慣れてきたものの暑さのせいか少し動きが遅くなってくる。途中に集中力が切れてしゃがみこむ。周りの人は氷や飲み物をやたらとすすめてくれる。空調の効いた車へ案内されここでひたすら涼む。どうやら気づかないうちに暑さにやられたらしい。自分ではなかなか気づきにくい。
ここで同じように休んでいた人と少し話す。活動を呼びかけたアーティストに触発されて来たと言っていた。
17時には大体の片付けが終わり床掃除がスタートしだいぶ回復したのでそのタイミングで合流。用意してきた高圧洗浄機は電気が使えずお荷物状態、デッキブラシとホウキでひたすら泥を掻き出していく。こういう時はやはりアナログが役に立つ。真水で濡れた床が夕陽でキラキラと反射していた。
18時、完全撤収。
休憩中に私の体調を心配してくれてた人がBRAHMANのベースの人だったことは後になって知ることになる。
感想
実感として物資はあるが圧倒的な人出不足。素人目から見てもまだまだかかりそうです。
あと、かなーり主体的に動かないとリアルタイムで変わる情報が掴みにくくそれがボランティア参加のハードルを上げている気もします。ベースとして経済的余裕、肉体的余裕、精神的余裕が必要でさらに情報収集能力もいるという感じ。。
ニュースからのイメージと自分の目で見た光景はかなり違いがあり改めて自分の目で確かめることが大切だと思いました。液晶で見てた平面的な映像が立体的になり際限のなく積まれた瓦礫の道が今でははっきりと頭に浮かべることができます。地元の人の声を聞いたり乾いた泥の匂いを嗅いだりと現地に行かないと分からないことばかり。
自分や家族が住む地域もいつ被災地になるか分からないのでこういった経験がいつか役立つかもしれない、そういう考えで参加してる人もいました。
もし迷っている人がいるなら一度行ってみることをお勧めします。
嫌になったらその場でリタイアしても誰も咎めないです。行動は選べる。自由です。
私と同日に参加した人が先にめっちゃ詳細に一日の内容を書いたブログがあるのでそちらも合わせてご覧ください。
最高に読みやすいしちょうどいい文章量と距離感。
翌日に書いてるしすごいスピード感。。
今後も余裕ができたら訪れてみたいと思います。
帰りに食べた倉敷ラーメン、また食べたいです。
倉敷市街地は全然なんとも被害ないんですよね。
はい、少し長文になりました。ここまで読んでくれた方ありがとうございます。
最後になりましたが、被害に合われた地域の1日も早い復興をスタッフ皆これからも願っています。